川西ロータリークラブ 卓話

 卓話者:芝田一夫会員

身近な出来事

生まれてからこの方、60年以上を過ごした愛着のある故郷と最近の変化についお話ししたいと思います。
 故郷(石道)を集約すると「ひねもす、のたりのたりかな」「山紫水明の地」「カムバックシェーン」というフレーズになります。意味するところはのんびりとゆったりと出来て、山々に囲まれ近くに猪名川が流れ、素晴らしい自然が残っており、子供時代に魚釣り、川遊びした思い出が一杯残っている処で石道を離れて暮らすと望郷の念に駆られるすばらしい土地ということになります。
 世の中の変化に取り残された山村がここ数年騒がしくなってきました。第2名神高速道路とインターチェンジへのアクセス道路が石道の中を通ることになり、工事が始まったからです。
 公共工事を行う場合、事前に遺跡の発掘調査が行われます。たぶん、何も出てこないと思っていたら、あにはからんや、奈良時代の掘立柱建物跡1棟と大量の土器と木製品が出土しました。注目されるのは「文字」が記された木簡1点と墨書土器が10点以上見つかったことです。その他、縄文時代の土器・石器が出土しております。役所と関わりのある遺跡と考えられています。
 縄文時代からこの地に人が住んでいて、奈良時代には役所があったなど、山の中の辺鄙なところとしか思っていなかったのに「古代へのロマン」がかきたてられると共に石道自慢が増えた気がします。
 新名神高速道路が開通しますと人、車の往来が増え、だいぶ騒がしくなると思いますが、インターチェンジが近くにできるので利便性が非常に高くなります。長男が京都に住んでいましたので開通後は石道に帰ってきて、石道から通勤できると期待しておりましたが2月より海外勤務になってしまい、非常に残念です。しかし、倉庫業、沿道サービス等の新しい業種が進出してきて、今よりは活況を呈するのではという期待を持っております。
 最後に石道鉱泉を紹介いたします。平野鉱泉は三ツ矢サイダーとなり、全国的に有名ですが石道鉱泉は多分ご存じないと思います。「川西市史第3巻」に石道鉱泉の記述があります。鉱泉が湧いているのは野尻川の河原で石道温泉の前あたりです。子共時代の記憶によれば、そのあたりの河原にいけば、川の端の方でプワリ、プワリと気泡が湧いていました。周りの石はぬるぬると茶色に変色していたのを憶えています。明治28年には石道村の芝田新三郎、岡本宇一と能勢郡歌垣村倉垣の坂本三代吉、同久太郎、奥鹿之助、中村仁三郎の6人が出資して石道鉱泉採酌場を開設し、翌年に株式会社を設立しています。平野鉱泉より機械を譲りうけて操業し、神戸方面に販路を開拓し、摂津鉄道の池田駅から出荷していたようですが業績はパットせず、明治34年の営業報告を最後に消滅したようです。
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