川西ロータリークラブ 卓話

 卓話者:武田 覺会員

無給医時代

卓話  無給医時代
正確には、無給医局員時代のことです。
1. かつて、大学卒業後、1年間、希望の病院で診療実施修練(インターン)をする制度がありました。インターンは、アメリカに真似たのか、マッカーサー政策によるものかわかりませんが、昭和21年から昭和43年まで続いた制度で、アメリカでは有給で、身分が保障されているのに、日本では無給で、学生でもなく研究生でもなく医師でもない存在で、病院ではなすすべもなく、私は1年間、高校の教師などして過ごしました。
インターン廃止運動が起きたのは、「ベン・ケーシー」というアメリカのテレビドラマが発端になったのではないかと思っています。
2・インターンが終わると、医師国家試験、そして大学病院医局に研究や学位目的で入局します。私は阪大の第一外科に心臓外科研究を目指して入りました。
無給医局員で、ライターがついて、下のクラスの患者の受け持ちなどします。そして1年以内に、2、3年間、関連病院に出張に出されます。私は大阪警察病院でした。この間は給料取りです。
3・帰局すると、再び無給医局員となり、診療、研究、学会発表、そして学位論文にもかかります。朝は8時から、抄読会、手術、総回診などなど、帰りは夜、1日中お日様を見ることもできない日が続くこともありました。生活費は、私の場合、町立住道病院(現大東市民病院)の萬年当直のアルバイトで得ていました。
4・学位取得(入局後最短で5年)後は、やりたい研究に入れるか、早々にお礼奉公として関連病院に出されるかです。お礼奉公の期間はだいたい2、3年で、そのあと、開業、転勤、再び帰局、そのまま定年までと、道はいろいろです。私は、教室の事情で否応なく奈良の療養所に出され、転勤、転勤のあと、ここ川西で開業しました。
  研究を続けていると、順番が来て有給の助手(文部教官)の地位を得ます。外科や内科はなかなか順番が来ません。助手のあとは、先の経過をたどるか、講師、助教授、教授への道が開けるかです。
5.インターン廃止後、研修医制度に代わりました。この制度の是非については言いません。ただ、昔は、医師の数は今ほど多くないのに、医師不足とか、患者のたらい回しなど耳にしませんでした。誰もが症例獲得に獰猛で、専門如何にかかわらず、診療に挑戦したからでしょう。医療の専門分化が進んだせいか、医師の保身からか、考えさせられます。
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