川西ロータリークラブ 卓話

 卓話者:来田慎輔会員

雑話

いつもの事ですが隣国韓国の話を少しさせて頂きます。
1997年のアジア通貨危機の時、ウォンが1/3、株も1/3に、失業者は3倍。そしてIMFの管理下になり、ガソリン高で高速道路から車が消えた。そんな国が10年と少しで今では日本以上に元気で、日本のトップ企業を抜いてサムスン電子、LG、現代自動車等々が世界のトップ企業の仲間入り!
何故だろう?一言でいうとそれは為替、すなわち“ウォン安”である。ウォンの大幅安により韓国は国際競争力を回復し国力を取り戻した。この30年間で円は対ドルで2.7倍と高く、20年間では2倍と高くなったのに比べ、元は1/4→2/5と安く、またウォンは2/3→2/3といずれも安くなった。
韓国は中国と同様に政府が為替介入を度々実施し、為替レートを管理し為替レートを低めに抑えてきた。すなわち国家管理に成功した。事実上の管理変動相場制である。特に中国は元安を維持するため少なくともここ5年間にわたり毎日およそ10億ドル規模の為替介入を実施してきたと米国ピーターソン国際経済研究所のフレッド・バーグステン所長が指摘している。
それに比べて最近の円高。日本政府の無策は両国と対照的である。ここで少し日本の為替の歴史について見てみよう。江戸時代には決済時、東では金、西では銀、日常の売買では銅と3種類のお金が入り混じっている状態で交換比率も一定ではなく相場がたっていたという。問題が生じたのはペリー来航以降、日米修好通商条約を始め各国と修好条約を結び、外国との取引が増えてからだった。
幕末の日本では金と銀の交換比率は金:銀が、1:5だった。ところが海外では1:15が一般的なレートだった。この交換比率の違いを利用して目ざとい海外商人が大儲けをした。すなわち海外で銀を調達して日本で金に交換そして銀に戻すだけで3倍になった。黄金の国ジパングと呼ばれた日本から瞬く間に金が流出してしまった。さらに過剰な銀の流入が物価の大混乱を起こし、深刻なインフレを引き起こした。これが庶民の怒りの声となり倒幕運動の広がりの一因ともなった。後の明治政府も金本位制を採用したものの金の流出のあおりで、結局金銀複本位制を採用せざるを得なかった。
1871年(明治4年)それまでの通貨単位の1両を1円に改め、1円金貨の金含有量を1.5グラムと定めた。金1.5グラムは当時1USドルだったので1円=1USドルすなわち超円高である。
 明治初期の日本円誕生から太平洋戦争終戦後までは、円は一貫して下がり続けてきた。そして戦後の固定相場制時代を経てからは、日本円は一転対ドルで一貫して上昇を続けてきた。そしてまだ円高が続くのかそれともトレンドが転換して円安に向かうのか、またそれがいつ頃かそこが知りたい。
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